2017/02/26

落ち葉



無邪気な過ちに対しても

ぼくの狭量なこころは
寛容になれないのか。
あまりにも情けない。

「疑い深さ」というのは
ときにぼくを助けてくれるから
どうしても手を切ることは出来ないのだ。

たしかにそれは
もし自分の手の届く場所に
置かれているのであれば
とても有用な、そして
とても善良な友になる。

しかし
もし一旦その鎖がほどけて
全く施しようが無くなった時には
もはやぼくがそれによって
自らを滅ぼすのは
時間の問題だろう。

それは
決して「条件反射」
であってはいけないのだ。

風に吹かれて頬に迷い込んだ落ち葉と
やさしい眼差しに映る一筋の悪意とを
誰が同様に扱うだろうか?

それはとても分かりづらいものだ。
だれも、まさか離されるのを期待して
差し伸べられた手を握りはしまい。
けれども
少なくともぼくが存在する次元は
ヒトを純粋なものにはしなかったのだ。
それだから「疑」をすべて捨てるのは
あまりにも危険な行為なのだ。

しかしまたぼくは、果たして
、、、<言うのになにを憚ることがあろう。>
落ち葉に対しては、苛立つ理由などあるのだろうか?
もしぼくが、これは誰かによる「謀」だと思うのならば
実に滑稽であり、また狂気であり、切実であり
深い深い慈悲が必要であるだろう。

無いのだ、なにも。
疑うことなど。

むしろそれはぼくに与えてくれたのだ。
全霊な無邪気さとはどういうものかを。
真っ直ぐな営みとはどういうものかを。

学ぼう学ぼう、、、
学び取ろう。
「自然」には疑いなどいらないのだ。
ありのままを受けとめればいいのだ。
ありのままを。





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