2017/05/31

5月の霜






うら若き陽は
朝の霜
瞬く瞳を
幾度もこすれど
翳りゆく人は
未だなし

大地に深く濃やかに
打ちつける時雨
いつしか光溢れて
浮かび上がった岩肌に
緑の鮮やかさ
愛おしさ

見上ぐる空は
巨きく
青き分子を
きらめき放ち
古き未来に薫る時雨は
世界にますます
新しく






2017/05/29

声だけ


微熱のような朝風が
わたしを揺さぶっています
眠る世界で小さく膨らんできた心の中に
わたしをまた酔わせるような
強いアルコールを見つけました


どうして?
どうしてその美しい声だけしか
聞いてはいけないのですか?
あなたはどうして姿を
わたしには見せてくれないの?

塵も埃も
霧の一粒一粒にかき抱かれては
潤いながら漂っています
十重二十重の不思議な歓びの光が
遠くで次々に生まれてきて
物憂げな気持ちでいるわたしの足元に
優しく寄り添ってくれています
あなたのささやきが
全て余すところなく

優しく伝わってきます

やがて羽ばたく鳥たちをみました
甘い実を口に含んで
息を揃えてしなやかに踊っていました
弱々しく灯っていた街灯の明かりも

あっという間に消えてしまいました
あっという間に

ほんとうにどうして
風はいつもあんなにもかるがると
幾つもの雲を吹き払って
暗い気持ちを、また、あの憂鬱を
消してゆくのですか





2017/05/08

界面




ペンを持たなくなった。
新しいノートも買っていない。
だけどこの机には何冊ものノートが並んでいる。
ぼくは目の前にあるペットボトルをどけて
薄いノートの一冊に手を伸ばす。

(ぼくの心の中にある縁石は砕けていた)

開けばインクが滲んでいる。
これは浮世絵の模写だ。
役者絵や美人画や風景画が描かれている。
そうだ、ぼくは浮世絵が好きなんだ。
幾何学模様がある。
大きな鷲がいる。
写楽もいる。
広重もいる。
北斎もいる。
文晁もいる。
巴水もいる。

(今日も昨日も雲ひとつない青い空だった)

外から子供たちの声が聞こえてくる。
子供達はいつも大きな声を出して
大きな声で笑ってくれる。
そして誰よりも強く喜びを感じる。
けれどもそれだけ強く人を憎み
怒られればひどく落ち込み
ひたむきで、飾り気なく楽しみ
小さな別れでも深く悲しむ。
ぼくはそういう子供の声を聞いている。
でもぼくは、そうじゃないかもしれない。
ぼくはもう、そうじゃないかもしれない。

(土筆を一つ摘み取って胸ポケットに入れた)

風がいつでも気持ちよければいい。
木々や草花には賑やかであってほしい。
夕焼けは美しく、切ないものであってほしい。
星や月や夜空は、幽かで、難解でいてほしい。
けれどもぼくは、いくつものインクを使う。
さんざん色を重ねて、なおも重ね続ける。
秋になって枝々の先端から地上へと枯葉が落ちて
柔らかに焦げた寝床がつくられるように。

(向かい風を押しながら自転車が橋を渡ってゆく)

今ぼくはその寝床に横になっている。
透明な色をした、腐った水を飲んでから
純朴な布で覆った、気怠い枕に頭を乗せる。
夢の中で何度もまばたきをした。
夢から覚めるために何度も目をつぶっては開けて
まだ夢の中だとわかるとそれを何回でも繰り返した。
けれども言葉を喋る虎が、ぼくからは見えない場所から
ぼくが夢から覚めるのを止めようとする。
ぼくはその虎の鳴き声のせいでずっと夢の中に留まってしまう。
夢から覚めたい!
夢から覚めたい!
ああぼくは本当につらい、、、

(一羽の鴨がはぐれたところで泳いでいる)

ぼくは一瞬の文明の中にいて
こんなにも騒がしそうに思える国の中にいて
こんなにも多くの人の助けを借りて
こんなにも豊かに思える暮らしをしているのに
ぼくが誰かに寄り添うことはない。
ぼくはぼくに差し向けられる誰かの手を
無邪気に信じて握りしめることができない。
かといってぼくは異郷を巡る旅人のように
絶えず疑い深くいるわけでもない。
ぼくはそもそも、異国を知らない。
ぼくは人を信ずるということや疑うということが
真実どういうものなのかを全く知らない。

(雪が溶けて暖かくなったのは彼らなんかではなかった)

「自由に生きなさい」
彼らはぼくにそう言いながら
ぼくに必要以上の、とても豊かな生活を
ひとえに物質的な満足をぼくに与えてくれた。
彼らは愛情を込めてぼくに”餌”を与えてくれる。
そして彼らはその”餌”を食べているぼくの姿を見て
満足し、納得し、役目や責任を全うしたと思い込む。
そして再びぼくにこう言うのだ、「好きなように生きなさい」と。
しかし自由は彼らの手の中にあるのだ。
彼らのつくりあげる自由こそがぼくの自由なのだ。
もしぼくがそこから抜け出そうとすると
彼らは当たり前のようにぼくを縛り付け、籠の中に引き戻す。
そして再び彼らはぼくに、彼らが手に入れた”餌”をぼくに与えて
「生き方はお前が決めなさい」と。
それ以外のことなど一切話すこともなく、話させることもなく
ただ彼らの尊厳を守らせるような行為のみをぼくにさせようとする。
彼らはぼくによって彼らの尊厳を貶めるようなことをされそうになると
その行為の内にぼくが悪意を込めていなかったとしても
彼らはそれをまるで非常事態と捉え、干渉し、捻じ曲げ
それがきびしい向かい風であろうが、胸をたぎらせる追い風であろうが
ぼくに吹き付ける風を遮るようにぼくの目の前に壁をつくりあげて
彼らは様々な色の風を全身に満々と循環させて、鮮やかな緑の葉を揺らし
人間らしい生き方を思う存分に享受する。
けれどもぼくの真っ赤な葉を揺らす風は吹いてくれない。

(蒼い夕凪に無数の星が近づけば、眩しい光を放つ結界ができる)

川沿いにある堤で立ち止まってみた。
いろいろなものを感じる。
川の匂い、車の音、風の音、鳥の声
空気の冷たさ、時の移り変わり
空の色の変化、草が脚にすれる感触
深まってゆく夜空、輝きを増す星たち
平衡感覚を失うような感覚
湾曲した川の流れ、立ち並ぶ街灯
橋を行き交う車の光、薄く張られた雲
溶けてゆく雪、仄暗く色ずく山体
川面に映るともしび、水が砕ける音
上を向けば、夢のように思える世界がぐるぐると駆け巡る、、、


(天の川は、やっぱりどこにも流れていなかった)

ぼくはいまこの瞬間、どこかに存在している。

(けれど、、、)

ぼくが求める”ぼく”は
まだどこにもいないのかもしれない。