2017/02/21

足跡のもちぬし



最初から備わっていないのならば

後付けでどうにかするしかない

それによって得たものが果たして
いい結果を生み出すかはわからない

ある人がもっているものを
自分がもっていないのなら
後からでも、手に入れられるように
行動を起こしていけばいい。
何も羨む必要なんてない。

それがどうなっていくかは
時間が証明することだ

その行動による結果は
自分が堕落を求めているわけではない限り
または、強制された行動でない限り
自分を動揺させることはないだろうと思う

きのう、深く積もった一面の雪畑のなかに
なにかの足跡が遠くまで続いているのを見た

もちろん、これがなんの足跡であるのかを
こちらで勝手に決めつけることはできる。
それで終わらせることは簡単だ。

しかしその足跡は、以前にも見たことがあった。
そのときは、橋を渡った後に足跡があった。
ところが昨日のものは、そうではなくて
橋を渡る前にあったのだ。

ぼくは、このふたつの足跡のおかげで
ある疑問を持つことができるようになった

それは
「この足跡のもちぬしは、
 むこうからこちらにやってきたのか?
 それともこちらからむこうの方へと行ったのか?」
ということである。

それまでぼくは、てっきり
向うからこちらへやってきたものだとばかり
思っていた。

それ以外の可能性もあるのに
まったく、、、排除してしまっていたのだ。
” 思いやりのなさ ”を痛感した。

この日、足跡が別の場所にあったことは
偶然のできごとである。
なかった可能性もあったのだろうが
「あった」、のだ。

「偶然による後付け」
これがぼくの愚かさに
わずかな軌道修正を施してくれた。

深く積もった雪 と なにかの足跡。

ありがとね、うん。










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